令和5(2023)年3月18日
案内人:竹田宏司 参加者:16人
池部家住宅
玉名市立歴史博物館こころピアに集合し、10時から玉名市伊倉北方の池部家住宅を見学。地主であり、弁護士、医師、郵便局長などを務めていた地域の名望家。
2000坪ほどの敷地に長屋門、主屋、隠居屋が現存。大きな改造は加えられておらず、建具なども古いものがそのまま使われており、釜屋には井戸、竈が現存している。
主屋は棟札等確認されていないが、屋根を改造した痕跡は認められず当初から瓦葺きであったと考えられ、野地板に使用してある釘が角釘であることから、明治初頭から20年代頃までの建築とみられる。
壮大すぎる屋敷に、所有者は管理に苦慮している状況で、売却先を探しておられる。
その後、伊倉南八幡宮、伊倉北八幡宮を見学。東西にまっすぐ延びる道路は、中世の荘園である宇佐八幡領伊倉別府の下地中分線が元になっていると考えられている
玉名市立歴史博物館こころピア
13時30分からは、玉名市立歴史博物館こころピアの見学。「菊池川河口の港町 高瀬と伊倉」と題した、菊池川の河口港として栄えてきた玉名についての館長による講話の後、古墳時代から西南戦争にかけての通史を扱った常設展示を見学。
高瀬のまち歩き
13時40分から高瀬のまち歩き。玉名市立歴史博物館こころピアをスタート。
高瀬官軍墓地
西南戦争の政府軍戦死者395人が葬られている。残念ながら墓石は撤去されており、合祀塔が建てられている。
都一アパート〜現存する旧赤線の建物。
時宗願行寺
秀吉の九州平定の際宿舎となった時宗寺院。
「官軍墓地之道」石柱
高瀬官軍墓地へと続く願行寺入り口に建てられている石造の標柱。
安田製菓
ポルトガル人宣教師が伝えたとされている伝統の菓子「松の雪」。伊倉の銘菓であったが現在は安田製菓のみ作り続けている。
スナック「モナリザ」前の路地を抜けて本町へ。
高瀬蔵
商家であった猿渡家から2000年にまちの活性化に役立ててほしいとの意向で玉名市に寄贈。TMO計画(中小小売商業高度化事業計画)が認定されホールなどを整備。運営はNPO法人髙瀬蔵。
高瀬蔵をぬけて高瀬裏川へ。桁橋や石垣の痕跡、馬門石を使った「さぶた石」などから、町の高さが時代をおって変わってきている様子がわかる。水害のたびに盛り上げていったものか。
高瀬目鏡橋(県指定重要有形文化財)
高瀬の町の玄関口であった橋。嘉永元(1848)年の架橋。橋を渡ると町会所と高札場。
秋丸眼鏡橋(市指定重要有形文化財)
天保3(1832)年の架橋。山鹿への往還筋にかけられていたが、現在は移築されている。
金刀比羅神社
航海の安全を祈願した、港町の名残。
高瀬御茶屋跡
高瀬御蔵の北側に隣接して設置されていた藩主や幕府の巡検使の休憩などのための施設。西南戦争で焼失。
熊本藩高瀬米蔵跡
2022年11月に国指定史跡となった。高瀬船着場跡、高瀬御蔵跡、晒船着場跡からなる。熊本藩最大の米の積出港で、菊池川流域の米が集められ、大坂へ向けて年間20万俵を積みだしていた。
高瀬船着場跡
水制施設や2基の「俵ころがし」などからなる石造の船着場跡。
新築御米山床の碑文〜天保12(1841)年に御米山床を増築した際の碑文。
高瀬御蔵跡
西南戦争で焼失し、多くが民地となっているが、蔵の礎石が残る一筆が国指定となっている。
吉永商店
高瀬のまちに唯一残る味噌醤油の醸造元。
三池往還筋から日蓮宗妙法寺、五つ角へ。高瀬の寺院は、西南戦争の際には政府軍の病院となっていた。
五つ角
かつての繁華街の中心だった場所。
玉名市立歴史博物館こころピアに戻り16時30分解散。