新町古町地区は、400年前に熊本城が築城された時に造成された市街地であり、当時の「町割(まちわり)」すなわち街区の形状は現在も往時のままです。川や船着場、町割といった今も残る市街地の基本要素を城下町の古層である第1のレイヤーとすると、お茶・お華・能楽をはじめとする伝統芸能、辛子レンコン、和菓子をはじめとする食文化、町屋で育った生活様式等の江戸時代に醸成された町人文化は、今に残る文化遺産の第2のレイヤーと言えます。その上に積層する第3のレイヤーが近代化を記す層です。新町古町が1878年の西南戦争の主戦場の一つになったという史実とともに、その後の近代化の足跡がこの地区には今も残ります。すなわち、銀行、病院、学校、書店等、近代化とともに出現した施設の一部が今も残っています。中でも、明治初期に新町に開設された冨重写真所には、カメラや現像機材とともにおびただしい写真原板が残っており、我々は、明治維新と近代化の史実をリアルに目にすることができます。
以上のような文化的価値の多様さに加え、それらの遺産を生活空間の一部として使い続けていることが新町古町地区の特徴です。