熊本まちなみトラスト2022年7月例会 ◆記録

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日時:7月23日(土)13:30〜 15:15
場所:PSオランジュリ(中唐人町)
講師:磯田桂史
参加者:(会員外/敬称略)高木礼子、(同伴・渡邊)、山川満清、田島千花子、島崎淳子
内田安弘、江口香奈美、松本善一(8人=参加費徴収)、溝上雄仁、鏡そよ(市原ゼミ生・・参加費免除)
(会員)16人(芳名録参照)+同伴者2人   10+18=合計28人

熊本まちなみトラスト7月例会は磯田桂史さんの『明治期熊本の洋風建築史』の講話。

磯田さんによると「洋風建築」とは「幕末から昭和戦前にヨーロッパやアメリカの影響を受けてつくられた」という程度のこと以上にこれといった定義はない。そこでまずは従来の木造ではない煉瓦、鉄骨、石造、鉄筋コンクリートなどの構造の面から「洋風建築」を紐解いていただいた。
熊本に洋風建築が伝えられたのは、長崎の大工さんによって建てられたジェーンズ邸などの長崎ルートと、軍の統一規格(1.25間モジュール等)で建てられた兵舎などの東京ルートがあった。
明治20年代になると熊本県庁(現在の白川公園の場所に戦前まであったが今はない)、重要文化財として現在も残る現在の五高記念館(建築当初は第五高等中学校)、熊本郵便電信局(現在の中央郵便局の場所にあったが今はない)などの壮麗な洋風建築が建てられるようになり、その後各方面に普及した・・・緻密な調査に基づく同名の本が一冊の本にまとめられ今年1月に出版されている。
磯田さんの労作によって明治期の熊本、現在に続く熊本のまちづくりの一端を共有することができた。

 

◆(伊藤理事長)開会のあいさつと講演者磯田桂史さんのプロフィール紹介

◆講演概要
(講演者の意図した筋たて)
1前置き(洋風建築とは?)
2明治初期の洋風建築
長崎ルート(医学校、洋学校)
東京ルート(軍)
3明治20年前後に登場した本格的洋風建築
(熊本県庁、第五高等中学校、熊本郵便電信局)
4各方面に普及した洋風建築
(一例)済々黌

1.「洋風建築」とは?

(1)構造から読み解く

  1. 奈良時代に大規模木造建築の工法が大陸から伝えられて以来の建築構造の革新が洋風建築とともに日本にもたらされた。
  2. 五高記念館に使われている赤煉瓦には「熊本監獄製造」という刻印があり近くの立田山山麓に獄舎を設けて囚人に焼かせたものと思われる。明治22年に竣工した五高本館の設計者は山口半六というフランスに留学し明治17年から文部省に入省した建築家。
  3. 明治27年に竣工した赤煉瓦造の熊本紡績工場内には鉄骨増の工場建屋もある。
  4. このような鉄骨構造は橋梁等にも見られる「トラス構造」なのだが、一軒和風の八千代座(1910(明治43)年築)の大空間も屋根の構造は木造のトラス構造になっている。
  5. 逆にジェーンズ邸は外観、内部も洋風だが和風小屋組みである。明治4年建造という時期であり、日本の大工さんの技法に委ねられたのであろう。
  6. 和風建築には土蔵造りの大壁と柱の見える真壁造りがあるが、大壁造りは洋風建築によく使われた。

(2)意匠から読み解く

  1. ヴォーリズ設計の九州学院講堂(チャペル)も大壁造りによって洋風の意匠を実現している。
  2. バルコニーやアーチなどの洋風の意匠を伝統的な日本の大工の技術によって実現した様式を「擬洋風」ということもある。

2.長崎ルートと東京ルート

竹崎順子が「肥後の維新は明治3年にやってきた」と著したように明治3年に藩主細川護久が帰郷して諸改革を進め、洋学校と医学校を置いた。また、1871(明治4)年には後に熊本鎮台、日本陸軍第六師団となる鎮西鎮台が熊本城に設置された。

(1)長崎ルート

洋学校にジェーンズ、医学校にマンスフィールドという外国人教師を招いたが、その住居を現在の第一高校敷地内(熊本城内)に建設した。ジェーンズ邸とマンスフィールド邸は、暖炉のある洋風の住宅にすることが必要であるという理由で、長崎の大工を招いて建設された。

(2)東京ルート

鎮西鎮台には多くの兵士が送り込まれたが、二の丸に明治7年に建てられた兵舎(歩兵十三連隊)は1.25間をモジュールとした規格化された建物であった。これらの軍の施設は陸軍がフランス人工兵大尉の指導の下に標準設計をつくりそれを基に陸軍本省から派遣された技術者の下に建設されたと考えられる。

Q&A

Q.長崎ルートと熊本ルートの違いは?熊本以外の地域でも同様のことが?
A.熊本の固有の(学都と軍都という)性格から起きたことのようだ。

3.明治20年頃に登場した3つの本格的洋風建築

(1)熊本県庁

  1. 設計者船越欣哉は、洋風建築を本格的に習得した人物として熊本県に初めて登場。氏は長野県上田市出身で熊本洋学校をから工部大学校(現在の東京大学)へ進み、赴任地京都府から明治19年に熊本県に赴任してきた。
  2. 明治19年に落成した県庁舎は古写真や当時の新聞記事にあるように壮麗な建築だった。
  3. 県議会で「西洋風とは?」と聞かれた際に船越は「日本風は板壁であるのに対して西洋式は漆喰壁である」と答えたという。

(2)第五熊本中学校(先記)

(3)熊本郵便電信局

Q&A

Q.五高の煉瓦は近くで焼いたとのことであったが、それ以外の石などはどこで調達したのか?
A.五高に関してはわからないが、県庁で使われた石は阿蘇や西山という記述がある。

◆(伊藤理事長)閉会のあいさつ

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